言の葉の書き上げ

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キム・オンス『キャビネット』(加来順子訳) 感想

 公営研究所で事務職に務める主人公の男は業務が無く退屈に耐える日々を送っていた。暇つぶしに資料室のキャビネットにかかった4桁のダイアル錠を総当たりで開けてみると、中のファイルはあり得ない特徴を持った人々〈シントマー〉についての記録だった。主人公はこれを読んだことを機にシントマー研究者クォン博士から無理矢理助手に任命される。
 イチョウの木が体から生えた男性や、意図しないタイミングで時間跳躍をしてしまう人物など、本作はこのシントマーについての記録に、シントマーたちと面談する主人公の生活を織り交ぜて物語が進行する。奇妙な人々の様子がユーモラスに語られ、またそんなシントマーたちの有り様からところどころで現代社会の歪みも伺えてくる。
 「何かいかれた本が読みたい」と本屋をさまよっていた時、翻訳書の棚に刺さった背表紙のタイトルで「奇妙なものが収められたキャビネットの話だったらいいな」と手に取ってみたこの本は完璧な大当たりだったし、さらにそれを大きく超えてオールタイムベストの一冊と言ってもいいほどになった。
 本作においてシントマーたちの奇妙な有り様は当然魅力のひとつではあるけれど、一方で主人公についての物語の比率もとても大きく、つまり「奇妙なシントマーたちの記録を読み、シントマーたちと面談した主人公の物語」となっている。
 主人公はシントマーに対し一定の心理的な距離がある。物語の中でシントマーたちはどこまで行ってもファイルに収められた記録、主人公の面談相手として現れ、それ以上の関係になることは失敗に終わる。主人公はシントマーたちと関わることに別段強いやりがいを感じているわけではなく、かといって見下していることも無い。ただシントマーたちの存在を認識し、その記録はキャビネットに収められる。
 主人公は周囲から疎まれている同僚の女性(シントマーではない)と言葉を交わし食事にも行くが、最終的に何か決定的な関係となることは無い。彼に家族はおらず恋人には過去に見限られ、新しいセックスや恋愛が生活のうるおいとなっていくことも無い。主人公のモノローグは常にイラつきとユーモアの緊張感によって保たれている。
 主人公の彼にとってシントマーに限らず他の人々は記録としてキャビネットに入ったものとなっている。「キャビネットに入れる」ということは一般社会や親密さからの疎外、関係の不在であると同時に、関係はどうあれずっと共存していた存在として知る、光を当てるということでもある。そして本作自体によって主人公の彼もまた記録されキャビネットに入れられ、他人たちと一緒になる。奇妙なものを外から眺めるのではなく、奇妙なものとともに、奇妙なものの中にある。
 本書の纏う不穏な孤独とその裏返しのヤケクソな人間愛は、この主人公を据えた構成によって単なる変人集を超えて拡張されており、強靭な普遍性、メタ性で読者に訴えかけるものとなっている。「何かいかれた本が読みたい」と思っている孤独な読者自体を飲み込むような、こんないかれた本もそうは無いと思う。

 

追記:「また作中ではシントマー同士での心理的な連帯の可能性は避けられている。」の段落を削除。当事者会みたいなのをやってるシントマーもいるのを失念してました。ただ、物語全体の方向としてシントマーの孤独が癒されていくようなものではなく、ただそのままの姿として描かれているというのは本作の特徴です。