言の葉の書き上げ

書き上げました

百合VRゲームについて(アルトデウス)

ALTDEUS: Beyond Chronos (アルトデウスBC)というVRアドベンチャーゲームを遊びました。人類の敵と戦う巨大ロボットのパイロットである主人公クロエと、クロエに感情を教えた少女コーコの物語であり、百合です。

VRゲームの本作について、主人公クロエの視点に没入して物語を体験する、と聞くと「えっ、その視点!?百合で!?」となる方も居るかもしれませんが、これが素晴らしい作品だったので、どのような体験になったのか、ゲームの内容には触れずにざっくりまとめておきます。

 

個性のある主人公視点でのVRゲームがどのような体験になるのか、その結論としては、主人公クロエの物語とプレイヤーの体験が重なりつつ平行して進行する、という感じです。キャラクターの完成された物語は確固としてそこにあり、プレイヤーが没入した程度で損なわれるようなことはないので、心配せずとも自分の心の済むまで没入すればいいと思います。

キャラとプレイヤーの体験が並走するというのはアニメや漫画だとピンとこないかもしれませんが、非VRを含むストーリーものの「ゲーム」の体験としては一般的なものだと思います。

ただ非VRとの違いとして、VRはプレイヤーの体験が非常に強烈であり、それが主人公の心理に強く重なる瞬間がある、というのが挙げられます。プレイヤーは目の前の出来事を体験し、その印象のうち使えるものは参照しつつ、クロエの物語を追っていくということになるでしょう。

 

 

アルトデウスの物語体験は、VRを買ってもやることがない、新しいものを見てみたいけれど自分が没入するという体験にはそれほど興味が無い気がする、という人も、VR購入のきっかけに十分なりうるものだと思います。私はアルトデウスが百合SFだと聞いてVRを購入しました。従来的なアニメやゲームの楽しみ方を持ち込みつつ、新鮮で強烈な奥行きのある体験ができる作品です。この文章では物語を追うという点をメインに話していますが、VR体験それ自体にも当然強いインパクトがあり、夢のような光景が眼前に広がり、心が奮えます。素敵な作品ですので、気になった方は是非。

 

本題はここまで。

 

 

余談1

アルトデウスは現時点で存在するのが奇跡なレベルの間違いなく素晴らしい百合VR作品ですが、VRで百合作品をやるとしてこの形式がベストなのかは、まだ他の形式を遊んだことがないのでわからないです。主役視点への没入ではなく端から眺めるようなタイプにもまた良さがあるかもしれない。色々な百合VR作品が出てくればいいなと思います。人物の視点を行き来するのも面白いかもしれない。百合小説では入間人間安達としまむら』で双方向一人称形式がかなり強いと証明されてますが、百合VRの場合ではどうなんでしょうね。

 

余談2

この文章書いてるとき頭に浮かんだ百合SF小説について紹介しときます。

・まず没入的な演出の百合作品として、

宮澤伊織「キミノスケープ」

(百合SFアンソロジー『アステリズムに花束を』収録)

自分以外の人間が消えた世界に取り残された主人公が、旅の中で他の人間の痕跡を見つけて追い始める話。

主人公は「あなた」であり、二人称小説。主人公の周囲に人はいないため、他の誰かの目線で主人公について語っているわけではなく、読者へ没入を促していると思われる。

二人称が一人称より没入感が高くなるのは、一人称小説の「わたし」に対しては読者自身とは異なる作品内の「わたし」が習慣的に仮構されるが、「あなた」に対しては読者は無防備で自身の逃げ場を失くすからだろう。

本作は〈不在の百合〉をテーマとしていて、登場人物2人のうち1人は痕跡のみを残して立ち去っており、もう片方の主人公は読者を完全に没入させてその視界に入らなくすることで、人間のいない景色の中で百合を展開している、ということだと思う。

(ちなみに、百合ではないけど二人称形式でVR的な技術を描いた作品としては、遠隔介護を描いたケン・リュウの短編「存在(プレゼンス)」がある。今手元に無いので確認できないけど確かそんな話だったはず。二人称の意味合いは没入とは若干違ったかも。収録は単行本『母の記憶に』(同題文庫版にはない)、文庫本『草を結びて環を銜えん』、『Arc アーク ベスト・オブ・ケン・リュウ』。二人称でVR的なのを描いた作品は他にもありそう。)

 

・次に、キャラクターの物語とプレイヤーの体験が重なった状態を描いている百合作品として、

小川一水「プレイヤーズ・アンノウン・ストリーミン・グラウンド」

(SFマガジン2018年6月号「ゲームSF大特集」収録)

バトルロイヤルゲームで発生した奇妙な協力関係の行く末が、アバターキャラの視点で語られていくが、途中では〈実況者〉(プレイヤー)のセリフが差し挟まれる。ノリの落差が凄い。

キャラの意識とプレイヤーの意識は重なりつつも別物で、キャラには今の自分が配信されてるというメタな認識もありつつ、ゲームの世界の存在として過不足のない人格が与えられていて格好良い。

バトルロイアルという非ストーリー的なゲームで、メタな存在としての実況者がいる状況で、敢えてアバターを人格的な存在として立ち上がらせてその視点から状況を描写させているのが凄い。

 

 

徹夜になってしまったので終盤文章めちゃくちゃかも。

以上。