言の葉の書き上げ

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金川宏による短歌「弧がはらむとおき中心わたくしというまぼろしへ引き絞る弦」の感想

弧がはらむとおき中心わたくしというまぼろしへ引き絞る弦

金川宏『歌集 アステリズム』p73

 

 必要があって微細な曲率の曲線を設計した際に、円弧の半径、中心への距離を計算すると2kmになったことがある。設計した円弧自体の長さは数m程度だった。

 弧という図形が実在的な具象であるならば、中心は弧の存在によって現れてくる観念的な構築物になる。同様に具体的な生活・肉体からわたくしというまぼろしは立ち上がってくる。そして中心、わたくしというまぼろしは具象からは気が遠くなるほどはるか遠くに隔たっている。しかしその距離を鋭く結ぶ弦があり、それはまぼろしを立ち上げる力、認識・言葉を生み出させる力のことだろう。
 先立つものは弧であって、対して中心は受動的にはらまれることによって在るまぼろしであるから、弦は弧から始まって中心へ向けて、世界からわたくしへと引かれる。しかし、弦はただ引かれるのではなく引き絞られており、この力は中心によるものにも見える。わたくしというまぼろしが、先立つものとしての世界から、弓を引き絞るような集中力によって現れる。

 遠く隔たった世界とわたし、その間の因果と力の有り様を、シンプルな図形によって描いていて、とても美しい短歌だと思う。

 

 ここからは別の話にはなるが、そして主客は逆転のするかもしれない。わたくしというまぼろしは世界を認識し、肉体を動かし生活を営む。中心は、そこから同距離の点の集合として円弧を定義する。しかしそうした挙動はやはり世界・弧の存在が前提であって……