言の葉の書き上げ

書き上げました

アキレスと亀のパラドックスについて

思いついたから書いているだけでたいした話でもないです。

 

以下はWikipediaの引用。

 

“「走ることの最も遅いものですら最も速いものによって決して追い着かれないであろう。なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず、したがって、より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならないからである、という議論である」[8]。

 

あるところにアキレスと亀がいて、2人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らか[10]なので亀がハンディキャップをもらって、いくらか進んだ地点(地点Aとする)からスタートすることとなった。

 

スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)。アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む(地点C)。同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。”
ゼノンのパラドックス - Wikipedia

簡潔にするためアキレスと亀の速度は一定とする。

 上記の文にある誤謬は“より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならない”の中の「常に」と、“いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない”の「いつまでたっても」に集約される。なぜならいくらでも続けることができる「この考え」は、確かに無限に続けることができるが、その無限の言及の中にはある時点(追いつくとき)以降の未来は含まれることはなく、よって「常に」「いつまでも」とは言えないからである。
 なぜある時点以降を含まないかは公比の絶対値が1未満の無限等比級数の和が収束するためである。
 上記の文の「常に」「いつまでも」をレースの時間経過ではなく言及の進行状況を指していると解釈して、「レースではいつまでも」ではなく「この無限の言及中においてはずっと、決して」と考えるならば、正しい。このパラドックスが示すのは、有限の時間について無限に言及できる、無限に考えられるような言及の仕方、考え方がある、ということになる。 逆に、その考えを無限に続けても決してある時点以降の未来に行きつくことのできないような考え方がある、ということでもあるだろう。

 ちなみにこの無限の言及をレースの実況としてリアルタイムで行った場合、想像すればわかる通りどんどん早口になっていく。

以上。