言の葉の書き上げ

書き上げました

Xenoblade Definitive Edition の感想

   本編の、ほぼ最終決戦の感想。Wii版既プレイだけど、改めて感想を書いておく。ネタバレあり、というか本編を遊んでないと意味がわからないと思います。遊んでても意味がわからないかもしれない……やればわかる程度のことをだらだら書いた気もするし、見当違いなことをずっと言ってるかもしれない。

 

  世界には神の骸のみが存在し、その肉体の上でヒトびとは生きている。このような世界で繰り広げられた物語の結末において、ヒトびとは遂に神を超え、新たな無限の広がりへと足を踏み出していく。

  ザンザとの最終決戦は、「神の力」と「ヒトの力」の戦いであると言える。(正確には、ザンザに与えられた多大な神の力に対する、シュルクに集うヒトびとの力とそれによって生まれた新たな神の力の戦い。)  ゼノブレイドはこの2つの力の相克による、創世の物語である。

  神の力は、始まりにはクラウスの実験によって発動し二柱の神の世界を生み出した。その世界の内においてはザンザによって振るわれ、モナドとして顕現する。最終決戦においてザンザの手にしている神の力とは、神の肉体、すなわち旅の中で辿った広大なフィールドその全てすら統べるものであり、ガウル平原やザトール、エルト海、ヴァラク雪山、更には機神界まで、全てがザンザの力の元にある。

  対するヒトの力は、二柱の神の世界やその先の新たな空間において暮らしを営み、生活圏を築くヒトびとの力である。  旅の仲間達は勿論、コロニー9、コロニー6、サイハテ村、アカモート、隠れ里やその他の場所に生きたヒトびとの意志の全てが、最終決戦の力へと掛かっている。

  ゼノブレイドの最終決戦は神とヒトの戦いであり、それは「神の肉体としての世界」と、「ヒトが築く営みとしての世界」の戦いでもある。巨神と機神という、二柱の神=世界の戦いによって幕を上げた物語が、神とヒトという、また異なる2つの世界の戦いによって幕を下ろし、そしてヒトによって神なき世界が選びとられるのである。

 

  ここで強調すべきは、「神の力」と「ヒトの力」のそれぞれもたらす世界、その内実を、プレイヤーは豊かで膨大なものとして実際のゲーム体験で味わっていることである。それにより2つの世界の衝突、そして新たな世界の創造という桁外れの展開は、真に迫る出来事としてプレイヤーの内に具現化する。そのようなかつて無い圧倒的に壮大な物語の体験が、一体どのような価値を持ちうるのか、その見果てぬ可能性について、到底結論には至っていない。

 

 

  そういうのとか色々あり、一番込み上げるものがあって涙ぐんだのは、クラウスが実験を行うシーンでした。あとアガレスとエギルが話すところ好き。

 

  あと良かったところと言えば、ムービー中に未来視や機神界パート、三聖の暗躍を差し込んで先に期待感、緊張感を持たせる語りの上手さとか、キャラクターとか、音楽とか、バトルの異常なまでの賑やかさとか、転倒ハメとか、スキップトラベルの早さとか、さっきも書いたけどフィールドとかキズナグラムとか、既プレイでわかってはいたけれどこのひと月ひたすらのめり込めるほどに楽しかったです。着せ替えも楽しい。

 

 余談

  ところで、「神の力」ことモナドは、最後にはシュルクによってアルヴィースへと返却され、新たな空間を創造したのち消滅した。残されたヒトびとは長い年月を経た後、今度は神なき世界において「ヒトの力」同士を衝突させるのではないだろうか。そのような神なき人々の世界に失望したからこそ、クラウスは創世の実験を試みたのではないか。ヒトの世界の先に破壊以外に何があるのか。そのような問いに対する答えのひとつは「ゼノブレイド2」にあるだろう。時系列的には後ではなく、別の世界の話だけれど、こちらは神の意志は後退し、「ヒトとヒト」の世界の物語になっている、と思う。