言の葉の書き上げ

書き上げました

中村文則原作『銃』

中村文則原作の映画『銃』を見た。完璧な作品だった。
大学生活中の会話の絶望的な白々しさ。銃を手に夜を走る解放感。敢えてテーマを限定する言い方をすれば、作中で描かれるのは若い男の欲望の乱流である。それはあまりにも身近なものだけれど、これほど明け透けに、精緻かつ大胆な映像で表現されたものは、他に見たことがない。
そして突如現れる刑事の、えもいわれぬ圧倒的な迫力。内部に不安を抱える者は、あのような強い眼差しで見つめられて、内に隠していることの全てを見通されることを、怯えながらもどこかで待ち望んでいる。主人公は映画の最後に刑事の姿を幻視する。しかしそのイメージの必死の訴えも虚しく凶行は既に終えられている。全てから逃れる為の自決用の弾丸は、何度も手から滑り落ちてなかなか弾倉に入らない。
フィクション等でよく言われることとして、人は他人を心の底から救うことなどできない(だから心は自分で救わなければならない、と大抵続く)、というのがある。刑事やヒロインの言葉を振り切ったかのように男が一線を踏み越えるこの作品は、前述のいかにもなテーゼを、しかし痛烈な逆接によって『反証』する。人の手によって作られたこの作品は、このような物語であるからこそ、もはや言葉が届かないはずの人々の心の内まで、鋭く手を伸ばしている。自分が撃つべき弾丸、しかし絶対に撃ってはならないその秘めた弾丸を、替わりに撃ってくれている、というのがこの映画と原作に自分が抱く強い印象である。しかしこれは安易な代弁がされているということでは決してなく、芸術作品として高められたその一撃は、衝撃によって共感すらも吹き飛ばして見るものの心に風穴を空ける。そしてぽっかりと穴の空いた心の中には、次第にゆっくりと、刑事やヒロインの優しさすらも、繊細な温度として染み透ってくるように思う。周到に準備され、完成された作品にこそ達成できることがある。この映画が見られて良かった。