言の葉の書き上げ

書き上げました

羞恥とはつまり怒り

羞恥が起こったときの身体反応について。顔が熱く赤くなる。表情筋が震えてくる。ほらだいたい怒りと一緒。

羞恥は自らの拙さ・醜さに向けた怒りであると言えるだろう。人前で自分に対してキレるわけにはいかないから、便宜的に怒りとは別物ということになっている。1人の時はシンプルに自分にキレることができるため、羞恥という分類はあまり必要にならない。

最近よく言う共感性羞恥というやつは、対象の拙さ・醜さにただキレているだけのことを変な理解者面に包んでいるだけで、大半は共感なんて全くしてない。「ウザいから消えろ」と遠回しに言っているだけなので、そう言われてもそのまま存在してたいならガン無視すればいい。勝手に恥ずかしくなってろ、という話だ。

怒りは快感になりうるので、当然羞恥も快感になりうる。羞恥は失敗に結び付くことが多く、失敗は自他の不快に繋がることが多いため、羞恥は普通避けられることが望ましいけれど、どうしても避けられない場合や、不快が考慮されなくなったとき、羞恥そのものを快感として甘受している場合はあるだろう。

僕の羞恥心は、授業中の教室に遅刻して入室するのを繰り返すなどしていた高校の時に人よりかなり磨り減ったように思うから、この話に一般性は全くないかもしれない。でも、なんとなく思うのは、そんなにいろいろ恥ずかしがることは無いような気がするということ。拙さや醜さをもっと意識的に許してもいいのかもしれない。