言の葉の書き上げ

書き上げました

木澤佐登志「さようなら、いままで夢をありがとう」の後半かなり裏世界ピクニックじゃなかった??

『文藝2021年春季号』の「特集 夢のディストピア」に寄せられた木澤佐登志の論考「さようなら、いままで夢をありがとう」の後半がかなり裏世界ピクニックだったのに気付いて、うれしかった、という話をします。

論考の内容をざっとまとめると、この世界は人間に対して何者かであれというプレッシャー、責任をかけ続けている、というのが前半、そこから逃れるための領域のあり方について模索するのが後半。後半では主にミシェル・フーコーと、中森弘樹『失踪の社会学』が取り上げられ、そこで出てくるキーワードが“失踪”、“神隠し”、“異界”、“ラブホテル”と、かなり裏世界。

 

課せられたアイデンティティや既存の分類を逃れている〈名前のない特性〉の概念は、名前のない関係性としての百合が思い浮かぶのはもちろんのこと、通常の因果から解放された現象としての実話怪談も想起する。

 

また、“ヘテロトピア=異在郷”は、現在ここにある世界と繋がったもので、世界の内部に、〈外〉の空間を引き入れることで、「他のすべての空間への異議申し立て」となる領域として提唱される。そして中森弘樹『失踪の社会学』から、人間の失踪を「神様の仕業」とすることで失踪者を責任から解放する「神隠し」という物語が持つ機能に着目して、失踪者が行き着く「向こう側」としての「異界」が、このヘテロトピアに重ねられる。

 

裏世界ピクニック1巻p38

“生きていると感じるあらゆる面倒くささ、しがらみ、お節介から逃げられる、自分だけの秘密の世界を見つけたら、みんなそっち行きたくなるでしょう。”

 

 

論考の終わりはフーコーがゲイ雑誌に投稿したテクストから、東京のラブホテルを思わせる夢幻的なヴィジョンが引用される。

 

フーコー「かくも単純な悦び」(論考からの孫引き)

“ありうべきもっとも不条理なインテリアに囲まれて、名前のない相手とともに、いっさいの身分(アイデンティティ)から自由になって死ぬ機会を求めて入るような、地理も日付もない場所、そうした場所の可能性が予感されるのだ”

 

世界と地続きの異界についての物語でラブホテルが重要な場所となることを、ミシェル・フーコーが示唆しているとわかって、うれしかったです。

 

追記

裏世界ピクニック6巻のあまり本筋には関係のない研究室の講評、哲学者の引用についての部分を読んで、あ、はい、そっすね。となりました。