言の葉の書き上げ

書き上げました

裏世界ピクニック5 感想

宮澤伊織『裏世界ピクニック5 八尺様リバイバル』を読みました。面白かったので思ったことを書きます。ジュニア版も確認できたので、それも含めて。例によって作品外の無関係な話が多いですが。

 

・怪異と隣り合わせの日常の中で、二人が距離感を捉え直していくような、そんな巻。表紙の、妙な幾何学的な線がかかっているけれど当人たちは知ってか知らずかまったりしている様子が、内容のイメージにぴったり。もう全体的に、なんていうかまぶしい。CHiCO with HoneyWorksがOPを歌うだけはある。アーティスト発表を初めて見たとき目を疑った。

 

・「ポンティアナック・ホテル」

これがジュニア版と同日解禁なのは笑うしかない。自然なやり取りがいい感じ。夏妃が肩を叩かれたのとか結構やばそうなんですが、酒と獅子舞の力で有耶無耶になったと思っていいんでしょうか。

 

・「斜め鏡に過去を視る」

p99酒で右目の力が抑えられない、のくだりまじで最悪で笑う。

空魚は自分の思いつきでニヤニヤするのもいいけど目の前の女にもう少し気を配れ、と思ってたら短編の最後でようやく少し考えをあらためていて、死ぬまで気づかないと思っていたのものについに目を向けていて、感動する。鏡の怪異が結果的にいいはたらきをしすぎている。

p131の挿し絵が凄まじい迫力。表紙もそうだけどshirakabaさんのイラストはどれも最高で、作品の雰囲気作りにぴったりな強いイメージを提供してくれる。

ところでさっきの右目のくだり、いわゆる邪気眼ものの文脈だけど、ジュニア版も発売されたし、むしろ裏ピが“原典”になる人間もいるのかもと考えると隔世の感がある。力を使って狂わることがないように人の顔を見ないようにしてみたり、つけてもいないコンタクトを気にしてみたり、思わせ振りに過去を匂わせてみたり、あとは手袋とか、……そういうことが実際どこかで起こらないとも限らない。ネットもあって最近の子はアイロニーの身につけが早く終わってしまうのかもとは思いつつ、それくらいのインパクトはあるのではないですかね。本シリーズのテーマでもある“狂気”には、行き詰まった現実に対する想像力の解放としての側面もあると思います。廃墟に行くのだけは本当に止めましょう。

 

・「マヨイガにふたりきり」

素敵な話。マヨイガのキッチンに空魚が内心で抱いていた「絵本みたい」という印象を、外館がさらっと言ってしまうところが気持ちがいい。外館とハナの関係の描写が素晴らしいし、空魚がそれに気づいてときめいているのもいい。空魚自身は自分が「ときめいている」とは気づいてなくて、それ以前の強い印象をもって語っているけれど。(これときめいていると言っていいですよね?自信がなくなってきた……)

ウォークインクローゼットのファッションショーも楽しかった。

あと、暖炉で両面を焼くいぬがかわいい。あれだけの描写がなんか異常にかわいかった。

あ、でもカバーのあらすじで館に住人がいるのを先に明かしちゃってたのはいまいちだったかなと思う。読む前はワクワクしてたんですが。

空魚が使う右目の力とは全く流派の異なる達人が出てきて世界の見え方が広がるというのはすごい新鮮な気持ちになる。肋戸にグリッチを教えられた時もそうだったけど、裏世界ではあるものを認識することとそれが存在することに因果関係のねじれみたいなのがありそう。

それと最後の空魚の夢について、本書を読み終わった翌日に目覚めた際に、ふとこのシーンを思い出して何か重たい不穏さが浮かんできて、成る程、ということがあった。老人とボルゾイのふたりが危険な裏世界で平然と暮らしていることの違和感が、後になって暗い坂道の印象を起点にして出てきたというか。外館とハナのことが心配というのとは自分が感じたのは少し違うかなと思うけど、空魚が感じている胸騒ぎはそういうものにも思えるし……どうなんでしょうか。

 

・「八尺様リバイバル

変化を迎えた二人の関係性がやり取りによく現れていて、感慨深い。

次々に変転する異界の情景が圧巻。

 

・ジュニア版あとがきについて

ジュニア向けに書かれたものを大人が読むのもなんですが、優しさがあってよかったです。

小説の人称手法から「信頼できない語り手」の話も出てきますが、ちょうど5巻「斜め鏡に過去を視る」にはこの答え合わせとしての側面もあったと思う。「信頼できない語り手」的な一人称とその答え合わせは、一般的にはミステリで使用されるようだけど、礼丈ヒロ子先生が解説で書いているような、登場人物の精神的な成長を描く児童書的な物語ともある種のシナジーがあるのではと思う。成長しないタイプの話もそれはそれでいいわけですが。

あと小説の手法としては超マニアックな“二人称”なんてものを括弧書きとはいえわざわざ紹介しなくても、と笑っていたのだけど、そういえば宮澤伊織には「キミノスケープ」があることを思いだして真顔になった。

 

・連れ帰った謎の少女や意識を取り戻した潤巳るなもいて、5巻の先に何が起こるのか全くわからない。3月に続きを読むのが楽しみ。その前にはSFマガジン百合SF特集号と、当然アニメの放送もあって、裏世界ピクニックがコンテンツとして生き生きしていることが、我がことのように嬉しい。

 

・さて、これはあんまり関係ない話。裏世界ピクニックもアニメ化されるしと思って最近ストルガツキー兄弟の『ストーカー』を読んだのだけど、10年以上前に読んだ児童書『怪盗クイーン』シリーズ(はやみねかおる)に出てきた、秘宝ピラミッドキャップの原産地、危険な謎の穴“ガルユーン”が実は『ストーカー』のゾーンのパロディで、モーリッツ教授のトンチキ仮説なんて正にそのまま“路傍のピクニック”だったのだということが、ようやくわかった。自分の読書遍歴がぐるっと廻って帰ってきて、非常に印象深い発見だった。

怪盗クイーンのピラミッドキャップ編「仮面舞踏会にて」と「月の砂漠を」ははちゃめちゃに面白いです。

 

・ここから下は読まなくていいのですが、

 

ところで佐藤卓哉監督って百合作品のEDに既存曲のカバーを持ってくることがあったじゃないですか。『あさがおと加瀬さん。』の「明日への扉」とか、『フラグタイム』の「fragile」とか。そうなると、裏ピでも特殊EDで二人の歌うカバーが流れてもおかしくないのでは、と思うわけです。来るなら最終話か、二人で手をつないで帰る1巻のラストとかでしょうか。で、選曲なんですけど、ある程度作品の雰囲気に合うような歌詞の要素として、こう、“ふたりだけの世界”みたいな?、あと、ちょっとSFっぽい感じの単語、たとえば“宇宙”とか?と考えてみると――

………………………………その……どうしても……ス○○○の、ロ○○○○が…………………………

いやさすがにこれを言うのは節操がないとは思っているんですが、この考えが全然頭から離れないんですね。あだしまの原作で歌われてたこの曲が、アニメ4話で流れなかったときから、ずっとです(代わりのオリジナル曲はそれはそれで素敵でしたが)。むしろあだしまでスのロが流れなかったときのやり場のない気持ちを、どちらも活字百合原作というだけで全然無関係の裏ピにぶつけてみたらそこそこ歌詞がいけるのでは、となったというのがこの話の実際の経緯で……どうでもいいですね。これが実際に裏ピで流れてもおかしくないような気持ちが、どうしても40%くらい本気であるのですが、こういう自分の中にしか脈絡の無い無根拠な思い込みを捨て切ることができないのが、まじで不安です。

 

本当に作品外の話ばかりになってしまった。感想を書くのは難しい。

楽しい読書でした。

 

以上。