言の葉の書き上げ

書き上げました

「オクトローグ 酉島伝法作品集成」 の感想

印象に残ったことを箇条書きしておきます。ネタバレあり。

 

「皆勤の徒」がつながっていたのもすごいけど、こちらの作品集では濃密に描写された世界がばらばらに8つも入っていて、1篇終わるごとに次は全く未知の光景が広がる。1日1,2篇ずつ感想を書いてないものも含めてじっくり楽しみました。

 

・「環刑錮」は、ミミズめいた異形へと姿を変えられて地中に閉じ込められた状況と、父親へのコンプレックスに囚われた内心とが呼応する一人の男の物語、という初めの罠にまんまと引っ掛かる。

 

“土中を掘り進んでいたはずが、過ぎ去った日々に戻っている。底なしに堆積したこの土壌こそが記憶なのではないか。だからこれほどまで穢れているのではないか。ここでは誰もがそう疑っていた。”

 

この引きずり込まれるような迫真の冒頭に加え、父親にバイオリン虫の絵を破り捨てられ、ありもしないものを描くんじゃない、と言われる序盤の回想を読めば、そこに著者の作風も勝手に透かし見て、なるほどそういう話かそれなら分かりそうだ、と核心を捕らえたような気になる。しかしそこから物語は“己媒者”を軸にしつつ全く異なる外側へと脱け出て行く。よく知らないけれど、精神分析の物語から外れていく、ということなのかな。

  それにしても環刑錮の描写がすごい。

p19

“ 逃れたい、ここから。この地中から、この肉筒から、この自分から。

  涙が溢れそうなほどに昂ぶっていたが、環刑錮に涙腺はなく、もどかしい感情ばかりが目頭に溜まってごろごろとする。鼓動が速まることもない。左右に五対ある心臓は、全身と同じように蠕動するだけだ。錮化されるまでは、鼓動しないことが、これほど寄る辺ないものだとは思いもしなかった。”

 

(今気づいたけれど、ここの描写は「クリプトプラズム」と対照的とも思える。)

 

環刑錮以外にも、黴寇や累單識、蛻窟、母親の語りの異化等、土の中も外も隙間なく世界の全てを異様な認識が覆っていく。

 

・「金星の蟲」は、こちらは本当に「わかった」ので嬉しい。皆勤の徒初読時のわからなさを思うと嘘のようにわかった。日常生活においてキャパシティを越えたややこしさにどうにか適応しようとする苦渋が書き連ねられていることのカタルシス(語源は“排泄”)。そこからホラー的描写を挟んで周囲の異様さがどんどん突き抜けて行く泥塗れの解放感。作品を通して世界からの疎外の切実さと、自らを疎外する世界の異様さが濃く滲み出てきていて、本当に気持ちにすっと入ってくる一篇だった。73ページ辺りの造語が増えてくるところで、きたきたきた!とテンションが上がってしまった。今回が初読だったけど、もし「夏色の想像力」ってタイトルのアンソロジー読んでてこれが出てきたら怖くて泣く。

 

・「ブロッコリー神殿」は「行き先は特異点」からの再読。「行き先は特異点」の方では最後に小さい挿し絵でかわいい“花粉”が描かれてたような気がする。そんなにかわいくはなかったかもしれない。記憶違いの気もするけれど、手元にないので確認できない。

 

・「堕天の塔」は「BLAME! THE ANTHOLOGY」からの再読。

このアンソロジーは、弐瓶勉の描いた無限に増殖する巨大階層都市を舞台に九岡望小川一水・野﨑まど・酉島伝法・飛浩隆の作家陣が各々の持ち味をフルパワーで発揮して暴れまわる、という凄まじい一冊。

(小川一水が書いてるのは片方がふたなりの百合であったりもします)

その中でも「堕天の塔」は原作との共鳴率が随一で、他の作家は巨大でモノクロな世界に入るにあたって敬意を払いつつもそれぞれの「色」を持ち込んでいるのに対し、酉島伝法はBLAME!の持つ温度感、難解で硬質で寂莫として冷徹だけど暮らす人々はどこか人間臭く、どこまでも歩き続けていられる壮大なあの世界の空気にそのまますんなりと馴染んでいるように思う。作家の普段の高い独創性を思えば驚くほどに原作に近い。作風が似てるからと言えばそれまでですが、弐瓶勉と酉島伝法のコラボというのがそもそも両者を知る読者にとっては「あり得ない、かつそれしかない」というような最高の必然的奇跡であるはずで、この一篇の存在自体に大きな感激がある。

 

p194

“「自分のほうが言葉の中を落下しているだけなのかもしれない。この塔みたいにね」”

 

塔の残骸が広大な階層都市を落下し続ける、という筋書きの中で酉島・弐瓶両者の魅力が濃縮されている。世界を巡った先、到着地点では新たな光景の中でひとつの邂逅が待っていて、思いもかけないまぶしさが広がる。

 

・「クリプトプラズム」

オーロラとは、つまりは本、想像力のことである、として読むことはできそう。しかしその一点に縮こまることなく、市街船上で広がるサイバーとバイオの功緻な景色が、例によって造語を用いてゆったりと立ち上がってくる。

両義的な味わいの豊かな一篇。何が起こっているかはわかりやすいけれど、読み味が複雑で感想はどう書いても書き落としが出るので、書きにくい。

p275

“ ““嬉しいことと悲しいことが両――” ”

 

p276

“嬉しいのと嬉しくない感情で胸に干渉波が広がる。ヌトとわたしの心臓は、まったく同じ周期で鼓動していた。”

 

p301

“わたしは自分が怒っているのか、悲しんでいるのか、それとも愉快になっているのかが判らなかった。”

 

体を持っているペルナートにバーチャルな存在のヌトが鼓動を同期させる、というのは親密性の描写において個人的な白眉。ヌトがかわいい。

複製物の孤独、切なさについての物語を繊細に手をかけてやりつつも、そこに自然にするりと絡ませるように親密なつながりの在り方や豊かな世界の存在も示されているところが、とてもやさしい。寂しいけれど寂しくはない。

 

・最後に、感想を書くくらいなので胸に残るものはあったのだけど、どれも実はとんでもない読み違いの産物なのではないかと若干びくびくしている。「皆勤の徒」の初読時は(読者としての自分が)それはそれはひどいもので、どうにかページを最後までめくり終えるも後に残った印象がほとんど大森望の解説中のわかりやすいあらすじそのままのみ、という有り様で、今は「隔世遺傳」とオーディオブックまで買って、「宿借りの星」も読んだけれど、こんなにこの作家を追うことができるとは当時は思っていなかった。まあこれくらいのレベルでだらだら読んでる読者もいますよ、ということで。

 

皆勤の徒オーディオブックは下山吉光さん、池澤春菜さんのあたたかみのある声で、他では聞かない言葉が延々と聞けておすすめです。

 

以上