言の葉の書き上げ

書き上げました

金川宏による短歌「弧がはらむとおき中心わたくしというまぼろしへ引き絞る弦」の感想

弧がはらむとおき中心わたくしというまぼろしへ引き絞る弦

金川宏『歌集 アステリズム』p73

 

 必要があって微細な曲率の曲線を設計した際に、円弧の半径、中心への距離を計算すると2kmになったことがある。設計した円弧自体の長さは数m程度だった。

 弧という図形が実在的な具象であるならば、中心は弧の存在によって現れてくる観念的な構築物になる。同様に具体的な生活・肉体からわたくしというまぼろしは立ち上がってくる。そして中心、わたくしというまぼろしは具象からは気が遠くなるほどはるか遠くに隔たっている。しかしその距離を鋭く結ぶ弦があり、それはまぼろしを立ち上げる力、認識・言葉を生み出させる力のことだろう。
 先立つものは弧であって、対して中心は受動的にはらまれることによって在るまぼろしであるから、弦は弧から始まって中心へ向けて、世界からわたくしへと引かれる。しかし、弦はただ引かれるのではなく引き絞られており、この力は中心によるものにも見える。わたくしというまぼろしが、先立つものとしての世界から、弓を引き絞るような集中力によって現れる。

 遠く隔たった世界とわたし、その間の因果と力の有り様を、シンプルな図形によって描いていて、とても美しい短歌だと思う。

 

 ここからは別の話にはなるが、そして主客は逆転のするかもしれない。わたくしというまぼろしは世界を認識し、肉体を動かし生活を営む。中心は、そこから同距離の点の集合として円弧を定義する。しかしそうした挙動はやはり世界・弧の存在が前提であって……

桃太郎

 これは今から遠い昔、大勢の人々が暮らす都を鬼たちが度々襲っていた、そんな時代のことです。
 都から離れたある山のふもとにおじいさんとおばあさんが暮らしていました。ある日、おじいさんは山へ柴刈りに行き、余計な枝を切ったり散らばっている枝を拾ったりして山をきれいにしながら、かまどや風呂で使う薪を集めていました。一方のおばあさんは川で洗濯をして、おじいさんとの二人暮らしで出た肌着や上着の洗い物をごしごし手洗いしていました。おばあさんが一通り終えて帰ろうとしたその時、川上から見たことも無いほど大きな桃がどんぶらこと流れてきました。驚いたおばあさんはとっさにじゃぶじゃぶと川に入って桃を抱え上げると、風呂桶よりも大きなその桃はどこも傷んでいるところも無く新鮮で、おばあさんは洗い終わった洗濯物の上に桃を乗せて、家へと帰りました。
 調理台の上に大きな桃を置いて、おばあさんはどうしたものかと思っていると、おじいさんが作業を終えて帰ってきました。桃を見たおじいさんは驚いて、これは本当に桃なのかと戸惑っています。回してみたり匂いをかいでみたりしていると、突然桃の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきました。これには二人とも大慌てしましたが、声を聞くうちに、この子を桃の中に入れたままにするわけにもいくまいということで、包丁を使って取り出すことにしました。桃が安定するようにヘタの窪みを下側に置いて、まずそっと表面の皮をむいていくと、皮の下の果肉はまるで桃そのもの、白くみずみずしいようすでした。中の赤ん坊を傷つけないよう包丁を薄く入れて切り取った果肉をじっと見つめていたおばあさんは、おじいさんが止める間もなくそれを口へと運んで食べてしまいました。噛み心地も、舌の上で広がる味も、ほどよく熟れた桃と同じでとても美味でした。おじいさんは、おばあさんが得体の知れない桃を食べることにも、赤ん坊を早く取り出さないといけない途中で食べたことにも、口をもごもごさせながら平然と美味しそうにうなずいていることにも、まるで信じられないという唖然とした表情をしましたが、気を取り直して包丁を受け取って桃に向き合い、慎重に少しずつ果肉をそぎ落としていきました。すると白い果肉の中に透けて、黒い毛の生えた赤ん坊の頭皮らしきものが見えてきました。おじいさんはますます慎重になって、包丁で浅く切り込みを入れ果肉を手で取り除いていきました。赤ん坊は桃の中心で透明な膜につつまれていて、果肉を十分取り終えたおじいさんは少しためらった後、思い切ってその膜を切り開き、赤ん坊の元気な鳴き声が調理台の上から家中へと広がりました。おばあさんが桃の中から赤ん坊を抱き上げ、二人がほっとしたのもつかの間、この子に何を飲ませればいいものか、村まで行って人をつれて来ようかと思案していたところ、赤ん坊は先程までぐっと握りしめていた手を調理台の上の桃の欠片へと伸ばし、つかんで食べ始めました。
 このようなことがあった驚くべき一日、おばあさんが川で桃を見つけてきた日から三年の月日が経ち、あの日に桃から生まれた赤ん坊桃太郎は、見る見る間に立派な青年へと成長していました。すでに心身共に充実した十六歳の働き手といった出で立ちで、元気に野をかけ、おじいさんの山仕事を手伝っていました。ある日、米などの備蓄を求めて村へと出かけた桃太郎は、旅の薬売りから都を襲う鬼の話を耳にしました。鬼たちは縄張りの島から海を渡ってやってきては、都の家々を壊し、財宝を奪っていくということです。それを聞いた桃太郎は許せない気持ちになり怒りに震え、そんな鬼どもは私が成敗してくれる、ととっさにその場で言い放ちました。薬売りは、都の警備でもかなわない恐ろしい鬼だから、と桃太郎を宥め、でも誰かが鬼を討ち取ったなら、きっと都は大助かりで、たくさんの褒賞が出されるだろう、と言いました。家に帰った桃太郎はおじいさんとおばあさんにこのことを話し、鬼退治の旅に出ると伝えました。おじいさんは頭を抱え、お前が元気に育ち、ワシの仕事を手伝ってくれてとても助かっている、都は大変かもしれないが、鬼がここまで来るわけでもない、このまま家にいてくれないか、と言いました。一方おばあさんは、私があなたを桃から取り上げた日から今日まで、あなたはとても強く育った、きっと鬼にも負けやしないだろう、都の人々を助けておやりなさい、それに仕事なら元々おじいさん一人でやっていたでしょう、と桃太郎を後押しし、桃太郎は威勢よく、はい、と返事をしました。おじいさんは深いため息をついて部屋を出ていき、しばらく経ってから戻ってくると、手に一振りの刀を抱えていました。これを持っていきなさい、きっと無事で帰って来れるように、とおじいさんに渡された刀を、桃太郎は恭しく受け取りました。翌朝、出発の身支度を整えた桃太郎に、おばあさんはお腹が空かないようにと袋に入ったきび団子を渡しました。桃太郎はそれを腰に付け、では行ってきます、と言って、見送る二人に背を向け旅立って行きました。
 ひとまず都へと通じる街道へ出ることを目指して、まだ山道を歩いていた桃太郎の目の前に、藪を揺らして一匹の犬が現れました。犬は見るからに元気が無く、顔を俯かせて尻尾を下げて歩いて、桃太郎へと近づいてきました。ワンワン、そこのお方、そのお腰に付けたきび団子、ひとつわたしにくださいませんか、お腹が空いて倒れそうです。桃太郎はおばあさんからもらった大事なきび団子を袋からひとつ取り出して、ひざまずいてそっと差し出しました。犬は手のひらに乗ったきび団子を大事そうにじっくりと食べた後、たちどころに元気になって、嬉しそうに尻尾を振りました。ワンワン、ありがとうございます。このご恩をどうお返しいたしましょう。なるほど鬼退治の旅をしているのですね、ならばわたしがおともいたしましょう、いざ鬼退治へ。こうして犬を引き連れた桃太郎は先へと進んでいきました。
 街道へ出た桃太郎と犬は、都を目指して歩みを進めていきます。崖沿いの道を行く桃太郎たちに、崖の上から声をかけるものがいました。おいそこのお前、その腰に付けたうまそうなきび団子、ひとつおれにくれやしないか。声の方を見上げると、一匹の猿がこちらを見下ろしていました。これはおばあさんにもらった大事なきび団子です、ただでくれてやるわけにはいきません、鬼退治のおともをするのならよいでしょう。桃太郎がそう返すと、猿はよし乗った、と勢いよく崖を駆け下りて桃太郎の元へ来て、自分で袋からひとつきび団子を取り出して口に入れました。あまりのおいしさに周囲を跳ね回った後、猿は桃太郎の頭に乗っかって、いざ鬼退治へ、と一行を促しました。
 その後もふたりのおともと共に歩みを進め都へと到着した桃太郎は、建物が壊れたひどい有り様を目にしました。最近にも鬼たちは縄張りの鬼ヶ島から都へやってきて、大きな金棒を振り回して人々を怯えさせ、金銀財宝を奪っていったのでした。桃太郎は鬼退治に来たことを都の警備に伝え、鬼ヶ島へ渡る船はないかと尋ねました。警備は鬼たちの恐ろしさを承知の上かと確認してから、都の南の海岸に鬼たちは上陸してくる、その周囲の漁村は住人が皆逃げてしまったから、使われてない船があるはずだと教えてくれました。
 警備の話に従って都から漁村へと移動した桃太郎一行が岸で船を探している頭上を、一匹のキジが空に輪を描いて飛んでいました。そこの皆さん、この辺りにはよく鬼が来ます、命が惜しければ立ち去りなさい、とキジは空の上から桃太郎たちに忠告しました。私たちはその鬼を退治しに来たのです、鬼ヶ島へ渡れる船はありますか、と桃太郎が尋ねると、それは素晴らしい、向こうの船着き場にいい船がありますから案内しましょう、それと、ぜひ私もおともにしてください、とキジが応えました。ならばこれはおともの印に、と桃太郎がきび団子を高く投げ上げると、キジは落ちてくるきび団子を空中でくちばしでくわえ、ごくりとひと飲みにして、いざ鬼退治へ、と空高く鳴き声を上げました。宙を舞うキジを追って辿り着いた船に桃太郎一行は乗り込み、海へと船を出しました。
 へりに留まったキジはかいを握る猿に船のこぎ方を教えつつ、しきりに空高く飛び上がって鬼ヶ島の方向を確かめました。犬はブルブルと身を震わせて武者震いをしました。ついに迫った鬼ヶ島は、空を覆う黒雲から雷が降り注ぎ、ゴツゴツとした岩肌や鬱蒼と茂る樹木に包まれ、だれも寄せ付けないような不穏な闇をまとっていました。桃太郎一行は裏手の浜に船をつけて上陸すると、キジが空から寝床を偵察し、鬼たちが昼寝しているのを確かめました。桃太郎一行は寝床の傍まで迫り、全員で覚悟を確かめ、息を合わせてから一斉に攻め入りました。桃太郎はおじいさんに貰った刀で鬼たちを切り倒していきました。犬は鋭い牙で鬼の脚に噛みつき、鬼が痛みに動きを止めたところへ桃太郎が刀を打ち下ろしました。猿は素早く飛び跳ねながら鬼たちを引っかき、キジはとがったくちばしで鬼の目をついては空へと飛びあがり、鬼たちも金棒を掴んで振り回しますがだれにも当たらずに空を切るばかりです。ひとりふたりと鬼たちが倒れていき、やがて最後のひとりとなった真っ赤な大鬼が、巨大な金棒を桃太郎へ叩きつけました。それをがっしりと受け止めた桃太郎は、大鬼がひるんだところをわき腹から肩へとかけて斜めに切り上げて、ついに全ての鬼を成敗してしまいました。
 桃太郎は鬼たちに二度と人々を襲わないよう約束させ、鬼たちが奪って貯め込んでいた金銀財宝を船に乗せると、鬼ヶ島を後にして都へと向かいました。都の人々は大喜びで桃太郎一行を迎え、沢山の褒美を与えたということです。おしまい。

ぬいぐるみ

ぬいぐるみを買いました。ニンフィアというポケモンのぬいぐるみです。ニンフィアの理由は、トリプルバトルで一番強いポケモンで、その上かわいいからです。トリプルバトルは動画を見ているだけで、自分ではやりません。

ニンフィアは耳と胸からリボンが生えていて、それが買って初めに袋から出した時はクチャっとなっていたのを、指で整えてフワッとさせるととても可愛くなって嬉しかったです。部屋に置いているのを眺める度に、かわいいな、好きだなと思います。
f:id:accoorrn:20240120023011j:image

近況報告

新しいものは何も見つかっていません。なのでTwitterにはまだ戻りません。
逆にインターネット1年生みたいな『スネ夫がEDMフェスで踊っているときに流れている曲(フル)』https://youtu.be/jmiEWUZ7VjM?si=4LoOqLZmKyc2AFFe とか貼ったりしつつもうさっさと戻ろうかなとも思ったんですが、せっかくなのでちゃんと新しいものを探すことにします。探すのはインターネットの内外どちらでもいいかな。買ってる本も読み進めよう。
 何かおすすめがあればここのコメントででも教えてください。観光地とかレジャーとか趣味とか。そんなハードル上げなくていいのでだれかなんか誘ってくれ。一緒じゃなくてもひとりでも勝手にやってるから。
 自分でもまだ探します。この世には何もない。日本語が崩れてきている。何も通じない。だれに話しかけているのだ。あなたに。つまらない。許されると思うなよ。助けてくれ。でも救われたくない。1マス動く。格子の安定の中。飛び出すには。恵まれたそこを、それでも?越えて、砂漠の先に、何か。いや何も。まだわからないだろ、と小声で。もう少し簡単なはずだったんだがな。しょうがないか。寝よ。

日記(声優オノマトペ音楽について『だいあるのーと / 七草くりむ』『夢音JKユーフォリア~一つに融けあう幸福なオーガズム~(シロイルカ)』)

【 ASMR House 】 だいあるのーと / 七草くりむ 【 Off Vocal 配布 】 https://youtu.be/m_6mVDi3UOs?si=znvyxEWCad7gXXA1がかわいくて良かったです。ゼロを連発するのは厳密にはASMRというより催眠音声では、という話もありますが、どちらも聴覚情報で気持ちよくなってることに変わりはないしこの曲の場合は確かに音自体の気持ちよさが問題になってるのでASMRということでよかろうと思います。声優の声をサンプリングした音楽としてはDLsiteの18禁音声作品(催眠音声ではない)『夢音JKユーフォリア~一つに融けあう幸福なオーガズム~(シロイルカ)』のトラック3と5(3はサンプルで聞ける)がありますが、『だいあるのーと』を聞いて「あれでしか得られなかった栄養素がここに!」となりました。こういう曲はもっと聞きたいので他にあったら教えてください。七草くりむさんのASMR Houseシリーズは全部聞きました。
 ちなみに音楽ではないですがオノマトペをフィーチャーした18禁催眠音声として『非言語催眠-擬声語パブロフ(帽子屋)』シリーズがあります。

日記(youtube見てる)

 ツイッターを見なくなってyoutubeを見る時間が増えた。前にQuizKnockの見過ぎで寝不足が常態化して口内炎が一気に二個できたりしたためスマホからyoutubeをアンインストールしたが、結局パソコンでいろいろ見ているため寝不足になるし、寝不足でライブに行った話をさっき書いた。

 有名だけど聞いたことなかった曲のMVを見たり前に見たやつを何回も見たりする。『いーあるふぁんくらぶ』を今までちゃんと聞いたことが無かったことを、昨日聞いて気づいた。『六兆年と一夜物語』しか聞いてなかったkemuの他の曲を聞いて、自分の中にぼんやりあった「ボカロっぽさ」そのものみたいな雰囲気に嬉しくなったり、弟が小説買ってたなと思ったりした。あと石川智晶「アンインストール」が公式で上がってたので聞いてみたら、歌詞、歌唱の凄さはわかってたんだけど今度は後ろで鳴ってる音の感情を掻き立てる強さに圧倒されて、サビ前とかあまりのヤバさに変な笑い方して腹のスジが痛くなった。他にもっと新しいやつも聞いたりしてます。

日記(SF大賞のエントリー、インターネットメディアSFうおおお、とか)

先週に第44回日本SF大賞のエントリー募集に谷口裕貴アナベルアノマリー』の推薦文を書いた。自分のいびつな日本語で推薦文を書かれるのでは迷惑なのでは、とも思うけど、過去に何回かやってるので今更だし、好きな作品なので推薦したかったし、自分なりに納得いくように書けたのでよかった。「使命へと導かれていく」というところがお気に入り。「使命を果たす」ほど能動的ではないけど「運命へと導かれていく」ほど受動的でもない感じ。
 あと他の人の推薦文を読んで、というか推薦されてるのを見てyoutubeの動画『そんな話を彁は喰った。』とDLsiteのエロ漫画同人誌『出会って4光年で合体』を以前に見た。これらを見て日本のインターネットメディアSFうおおおおおとなった勢いで別にインターネット作品ではない『アナベル』の推薦文を書いた気がする。どちらもとても良かった。
 あとインターネットメディアSFといえば、これは別にSF大賞にエントリーされてるわけではないけどyoutubeバーバパパ(動画投稿者名)を最近一気見している。正気からずれている動画内容と、そこに乗せられる分厚いEDMが最高に脳にキマって気持ちいい。今までおすすめに出てくるたびになんかもっとふざけたしょうもないやつだと思ってスルーしていたけど、クオリティめちゃめちゃ高い。『アステカちゃんはインターネットで晒した人を生贄にします』がSFとしてもEDMとしてもおすすめ。『ウ”ィ”エ”』『あるいは最高位人権道徳者を目指しなさい』は有名かな。期間内の動画のどれかをSF大賞にエントリーしようかなとも思ったけど、EDMで乗ってるドラが強すぎてSFとして適正に評価できてる気がしないのでやめた。EDMが強いのは『そんな話を彁は喰った。』も同じですね。ということで『そんな話を彁は喰った。』『出会って4光年で合体』『バーバパパ投稿作品』でインターネットメディアSFうおおおおお、となっているのが最近の気分です。
 またSF大賞エントリーの話をすると、百合文芸誌零合の創刊号はエントリーしようかな、とも思ったけど、SF以外の作品も入ってるしな、というので見送った。零合百合SF傑作選みたいなのが出たとしたら多分エントリーすると思います。『アステリズムに花束を』の時にエントリーを自分でやらずになかなかエントリーされないのにイラついてたことの後悔があって『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』をエントリーしたりしたんだよな~。SF傑作選出てほしいし、創刊号のSF4作はどれもよかったので全部収録されると思う。あと自主制作アニメのヴァリシアは完結まで見届けてからかな。それで言えば裏世界ピクニック8巻もですね。こちらは例えば「社会の“恋愛パック”概念の解体にホラーのテーマを融合させて、新しい未知の未来として二人の関係性を描き出した」とか書けないこともないんですが、この先からファーストコンタクトものとしてのSF要素も高まってくると思うし、どうせエントリー書くならそこにしたい気持ちもある。エントリー募集要項の「このあとからは、これがなかった以前の世界が想像できないような作品」「SFの歴史に新たな側面を付け加えた作品」という観点からすればこの辺は新しい珍しいことやってると思うのでエントリー書こうと思えば書けるけど、作品の外部条件も踏まえつつそれでも根幹としては作品自体の内容をベースに「SFの大傑作が出ました!堂々完結!これがSF大賞や!」という勢いで書きたい気持ちがある。そういう気持ちもあって『アナベル』の推薦文は刊行に至った経緯とかは一切含めずに書いてみた。あと推薦文書かなかったと言えば長谷敏司プロトコル・オブ・ヒューマニティ』も書こうかなと思っていたんですが、他の人も書いてるしまあいいかとなってしまった。正直これがSF大賞だと思うし、『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』が授賞しなかったら日本SF大賞の格が落ちるような、そういう作品だと思います。
 人が作った作品を大賞かな、どうかな、とプロでもない素人が勝手に評するのは傲慢なことだと思う。自分にとってもエントリー書くかどうかとは別で作品としての価値は特別なものです。話が取っ散らかってるな。疲れたので終わり。